ローカライズ翻訳(学習)のガイドライン以下は、2001年10月から2002年8月にかけて、(株)サン・フレア付属のサン・フレア・アカデミーの機関紙「プラス」の巻頭に寄稿した原稿です。アカデミーの受講生、およびサン・フレアのオンサイト翻訳者、在宅翻訳者に「ローカライズ分野の翻訳者は、どのような態度で翻訳し、またスキルを向上させたらよいか」を説明したものです。 ここでは、機関紙の巻頭言という制約がないので多少手を入れてあります。 |
はじめに 皆さん、こんにちは。翻訳者を目指しての勉強は進んでいますか。今回から数回にわたって、効率的な学習方法についてお話しましょう。もちろん、これは私の個人的な経験に基づくものですから、私の説明はあくまでも参考にされて、自分に最適の学習方法は皆さんがご自分で考えてください。 皆さんは、理想的な技術翻訳者像を描かれたことがありますか。プロの稼げる翻訳者になるために努力しているのであれば、努力目標の設定が必要です。目標像も描かずに闇雲に時間を費やしても、そもそも自分がどこまで到達していて、あとどのくらい努力したらよいかを判断できません。それでは、目標達成は困難でしょう。 もちろん理想的な翻訳者などいないのですが、その姿かたちを想像してみましょう。彼(女)は、翻訳会社から仕事をもらうと、まず目次を読み、ぱらぱらとめくってみます(あるいは、さらさらとスクロールしてみます)。それで、どのような内容について書かれた文書かを理解し、対象読者を想定し、どのような文体と用語を使って翻訳を仕上げたらよいか判断します。あとは、翻訳支援ツールを設定し、Excelで支給された用語集を用語管理ソフトで使える形に変換し、おもむろに最初のセグメントを開きます。彼(女)は、この分野の知識は十分にあり、この分野の英語と日本語の専門用語は十分に知っているので、専門用語辞典や解説書を読む必要はありません。また、ネイティブ並みの英語力を持っていますから、専門用語以外でも英英辞典や英和辞書を引くことは不要です。したがって、彼(女)は、最初のセグメントを開いた後はひたすらセグメントを開いて翻訳を打ち込んで、セグメントを閉じ、次のセグメントを開き、また翻訳するという作業を、ありったけのスピードでキーボードを叩きながら進めます。 このような彼(女)には、次の仕事がいつ来るかといった心配は要りません。仕事を求めなくても翻訳会社のほうから仕事を投げてきて、キャパを超えた分は断ればよいのです。唯一の心配は、腱鞘炎にならないように注意するということと、稼ぎすぎたら所得税が大きくなるということだけです。 いかがでしょうか。これが理想的な翻訳者像です。もちろん、こんな翻訳者はいませんが、それに近い人はいます。このような像が描ければ、あとはその像と比べて自分に何が不足しているかを見つけ、その部分を強化すればよいわけです。 実際には、翻訳者となるためには、どの部分も不足しているのですから必死になって英語力を磨き、日本語力を磨き、専門知識を身に付ける必要があります。英語をマスターするだけでも相当の努力と時間が必要なのに、さらに正しい技術文を書くための日本語と専門用語を身に付け、その上に時代の先端を行く技術知識を学ぶことが要求されているのですから、効率的な学習をしなければ、いつまでたっても求められる翻訳者にはなれないことになります。 では、効果的に学習するには、どうしたらよいのか。そのためには、自分の学習進度を測定するためのチェックリストが必要です。ここでは、サン・フレアに翻訳者として登録されることを目指して送られてきたトライアルの答案や、Pre-OJTやOJTのコースに入学するために送られてきたレベル判定試験の答案を私がどのような基準から採点しているかをお話しましょう。そうすれば、皆さんは、具体的に同じ採点項目を設定し、どの分野に力を入れて学習したらよいかを自分で判断できるわけです。 |
学習のためのガイドライン では、私が翻訳会社に翻訳者として登録してもらうことを希望する方々から送付されてきたトライアルや、翻訳会社の社内、社外の翻訳者の方々のレベル判定試験などを採点するときに採用している基準について説明します。 まず、翻訳者に求められる能力と技術として、英文解釈力、専門知識、それに日本語を書く力が求められます(ソース言語にはいろいろな外国語がありますが、ここでは英語を対象とします)。私は、この3分野につきそれぞれ次の3つの観点から評価します。
では、この3分野9項目で何を評価しているのかを説明しましょう。 翻訳は、まず原文を読んで、そこに何が記述されているかを理解することが出発点になります。内容を理解せずに翻訳した文章は、まともな日本語にはなりません。その分野の専門家が読んでも、その訳文を理解できません。専門家が理解できる訳文を作成するために最も大事なことは、その翻訳者が原文にかかれている内容を理解して翻訳することなのです。これは、当然のことだと思われるでしょうが、トライアルを受けられる多くの方が、それを忠実に実行していません。むしろ、多くの翻訳者が、仕事をもらうと内容を理解する努力なしにいきなり翻訳を始めます。そのような翻訳は、単なる記号(単語)の置き換えに過ぎず、翻訳とは言えません。 内容を理解するためには、英文解釈力と専門知識が必要となります。これは車の両輪のようなもので、十分な英語力を持っていても専門知識がなければ、内容の理解はできませんし、当然のことながら十分な専門知識があっても英語力がなければ内容を理解できません。 この観点から、この両分野の各項目について検討してみましょう。 |
英文解釈力 [英文解釈力] の (1) 英文法 製品と呼べる翻訳作品を制作するには、英検1級か少なくとも準1級程度の英語力が必要でしょう。文法をしっかりと身につけずに、英語国に留学してもブロークンな英語を話したり、書いたりできるようになるだけで、仕事で使用できる英語は身につきません。英語国で生まれ育った帰国子女は別として、大人になってから英語を学習するのであれば、基本的な文法の習得は必須条件です。文法知識がしっかりしているほど、英語学習の伸びも速く、高いレベルに達することができるでしょう。文法に関しては、主として次の観点からチェックします。
これらの点があやふやでは、原文で筆者が言いたいことを明確に翻訳できません。 英文法の基礎ができていない方は、英文解釈力の向上が期待できません。実は、実力のある翻訳者は、原文の背景の専門知識の不足を、しっかりした英文法に基づく英文解釈で補うことも多いのです。英文法は比較的短期間でマスターできます。自分の英文法の知識に ? がつく人は、すぐに復習を始めてください。また、よい英文法書を1冊は手元に置いて必要に応じて参照することをお勧めします。私は開拓社の「詳細英文法辞典」(井上義正編)を使用しています。これで不自由していませんが、他の文法書より優れているかどうか比較したこともないので、特にお勧めというわけではありません。皆様が、読みやすいと感じたものを買えばよいでしょう。 |
[英文解釈力] の (2) 単語 各言語は、それを育てた文化と表裏一体で、文化は言語なくして発展せず、逆にすべての言語は、その言語が媒体として使われる文化/社会でのコミュニケーションを効率的に行えるように成長してきたのです。つまり、すべての言語とその使い方は、背景の文化に裏打ちされているのです。 したがって、よい翻訳を行うためには個々の単語の発想を知る必要があります。そのためには、個々の単語が使われているコンテキストを考え、そのコンテキストの中で原文の筆者がどのような意図で単語を使っているかを考える必要があります。 多くの英和翻訳者が英和辞書のみを使用して翻訳を行っています。ところが、上に述べたように英語と日本語では背景の文化が違い、言語を書き、話す発想が違うのですから、英語の単語と日本語の単語が1対1で対応することはありません。だからこそ、英和辞書を見ると、1つの英単語にたくさんの訳語が書かれているのです。試しに、手元にある英和辞書で run を引いてみてください。動詞と名詞をあわせて驚くほどの数の訳語が載っていますね。つまり、英語では run 1語ですませられても、文化の違う日本語の中において意味を把握しようとすると、コンテキストによってこれだけの訳し分けが必要となるのです。 しかも、実は、英和辞書に載っている訳語は、よく使われるコンテキストでの一般的な訳語をサンプルとして挙げているだけで、実際には、もっともっと多くのコンテキストで、さらに別の意味で使われるのです。そうなると、ある英単語の意味のサンプル訳語をたくさん覚えることは翻訳に役立たないことがわかるでしょう。翻訳者が行うべき作業は、個々の英単語の本当の意味を知り、その単語が使われているコンテキストにあった適切な訳語を自分で考えることなのです。自分の目の前にあるコンテキストにしっくりと合う訳語が英和辞書に載っているとは限らないのです。 では、英単語の本当の意味を知るにはどうしたらよいのでしょう。そのためには、まず英英辞書を引く必要があります。英和辞書には、各英単語に対応する日本語の単語のサンプルが載っていますが、英英辞書には意味/定義が書かれています。しかし、広い文化的な背景を持つ英単語の意味を短い文章で説明することは不可能です。英英辞書にも、代表的な使い方をする場合の意味が説明されているだけなのです。 今では、CD-ROM の辞典やエンサイクロペディア、あるいは Web 上で英単語を検索できます。そうすることにより、ある英単語を使った文をたくさん集めることができます。ある英単語の本当の意味を知りたければ、その英単語を使った英語ネイティブの文をたくさん集めてみることが最も効果的で、今ではそれが簡単にできるのです。 長々と書きましたが、要は、すべての英単語には、それに一致する日本語訳が英和辞書に載っていると考え、そこからしか訳語を探さない翻訳者には、適切な日本文は書けません。「英和辞書に出ているのはサンプルで、最終的な訳語は自分で考えるのだ。」このように考えて、訳語を選んでいるかどうか、それを評価いたします。 なお、英英辞書には、英語ネイティブ用に作成されたものと、英語を外国語として学習する外国人用に作成されたものがあります。英語ネイティブ並に読み、書き、話せないのであれば、外国人向けのものを使うことをお勧めします。私が愛用しているのは、Collins Cobuild で、同社のサイトから最新版の CD-ROM を購入できます。 |
[英文解釈力] の (3) 理解力 前回の英単語の項で、「各言語は、それを育てた文化と表裏一体で、文化は言語なくして発展せず、逆にすべての言語は、その言語が媒体として使われる文化/社会でのコミュニケーションを効率的に行えるように成長してきたのです。つまり、すべての言語とその使い方は、背景の文化に裏打ちされているのです。したがって、よい翻訳を行うためには個々の単語の発想を知る必要があります」と説明しました。 背景の文化と発想が違う以上、単に使われる単語だけではなく、文章自体が英米人の発想で書かれており、同じ事象を説明する場合でも、当然、説明の仕方が日本人の場合とは異なる場合が多いのです。英単語の場合には、英和辞典を引いてその意味がわからなければ、英英辞典を引く、さらにはWeb上でその単語を使った文を集めて、その単語の本当の意味を理解したら、その訳語を自分で考え出せばよいと申し上げましたが、文となるとそうは行きません。まさに推察力、つまり思考の柔軟性が重要で、私はこれを「理解力」と呼んでいます。 そのときの重要な手がかりが、文章の説明の流れです。そして、説明の流れを把握するためには「英文の構造」を知っている必要があります。よく日本人は文単位で考え、英米人はパラグラフ単位で考えると言われますが、それ以上に英文は非常に明確な構造を持っており、この点に関し、次の3点を強く意識しておくと、相当に理解力が違ってきます。通常、皆さんは、翻訳の際にこのような構造を意識して訳していますか。 @ 日本語や中国語では、伝統的に文章は「起・承・転・結」の順序で書くべきだと言われてきました。しかし、英語では、「転」は嫌われます。「起」で始まり、「承」で受け、最後の「結」が来るまでひたすら「承」で受けます。したがって、「起・承・承・承・承・・・・結」というように、下の文は必ず上の文を受け、下のパラグラフは必ず上のパラグラフを受けています。 たとえば、ある節の途中にどうしても意味のわからない文が出てきたとします。その場合には、文の説明の流れをたどってみます。理解できない文は、すぐ上の文を受けているはずですから、そして、その上の文はすでに理解できているのですから、その上の文に続く説明はどうあるべきかを考えると、つまづいた文を理解する助けとなります。上の文を読んでもわからない場合には、その上のパラグラフに戻り、そのパラグラフに続くパラグラフの説明はどうあるべきかを考えます。それでもわからない場合には、その節の見出しと章の見出しに戻ります。見出しは、その章および節で何を説明したいかを簡潔に示しています。 もちろん、翻訳を進めながら常にこのような説明の流れを意識していなければならないのですが、それでも理解できない文に出会ったときには、この原則に帰って説明の流れを考えて、その中でその文が果たしている役割りを考えれば、多くの場合には解決できます。 A 理解のための次のヒントは、英語で書かれた文章の中の文およびパラグラフの役割りです。英語のテクニカル・ライティングでは、次のように教えられます。
つまり、次のような原則を述べているのです。
これが英文を書く際の鉄則です。それを知っていれば、1 つのパラグラフで複数のトピックについて説明しているはずはないので、ある文は必ずその上の文またはパラグラフを受けており、その下の文は同じ説明の補強説明、または追加説明であることがわかります。 B 最後が、英語の文章は章も、節も、パラグラフも、まずどのようなトピック(テーマ)について説明するかを述べ、次いでそのトピックについて説明し、最後に結論を述べているということです。ときには例外もありますが、通常は、1つの節の第1パラグラフは、その節で何について述べるかを説明したトピック・パラグラフであり、それにそのトピックについて説明するパラグラフが続き、最後に結論を述べるパラグラフが来ます。1つのパラグラフを見れば、最初の文はそのパラグラフで何について述べるかを説明したトピック・センテンスで、それに説明のセンテンスが続き、最後にそのパラグラフの結論を述べた文が来ます。 この構造を意識していれば、単に文の理解につまづいたときに役に立つだけではなく、翻訳するときに、トピック・パラグラフはトピックの提示、結論のパラグラフはその節の締めくくりというように積極的に構造を意識して翻訳文を書くと、非常にメリハリの利いた、読者が理解しやすい翻訳文を書けるのです。 たとえば、次のパラグラフに行き当たったとします。 The benefits of a directory are now clear. Just a few years ago, directory manufacturers, such as Novell, had to work hard to articulate the value, importance, and benefits of a directory. Today, directories are core components of large enterprises and are now beginning to be exploited for their benefits and potential.これは、あるパラグラフの途中までですが、この第 1 文をある翻訳者が「ここまでの説明でディレクトリの利点は明らかです」と訳しました。しかし、これはこのパラグラフのトピックセンテンスで、第 2 文以降が、この文に続く説明だと意識していれば、「最近では、ディレクトリの利点は多くの人が理解しています」と正しく訳せたはずです。 |
専門知識 次に専門知識について説明します。 翻訳に携わったことのない人は、ある外国語ができれば、その人はどのような分野の文書でも翻訳できると考えがちです。そうでなくても、10 年前に私が翻訳業界に在宅翻訳者として飛び込んだときに、技術翻訳に従事していながら「自分は文科系の出身だから、コンピューターのソフトや機械の仕組みについて理解できるはずがない、だけど英語の単語をそれらしい日本語に置き換えておけば、出来上がった翻訳を自分では理解できなくてもその道の専門家が読めばきっと理解できるはずだ」と考えている方が多いのに驚きました。 今では、そのような方は少ないでしょうが、それでも、翻訳対象文書の内容に関して徹底した調査をせずに、理解できないところは、無意識に単語の置き換え翻訳をやって済ませている翻訳者が少なくありません。十分な英語力と、よい日本語を書く力を持った技術翻訳者で、よく仕事が来る、来ないの差が生まれるのは、専門知識の差といえるでしょう。 |
[専門知識] の (1) 専門用語 まず、専門知識に関する私の最初のチェックポイントは「専門用語」ですが、これはわかりやすいでしょう。ローカライズ分野の翻訳の場合には、クライアントから用語集が支給されるのが普通ですが、用語集が翻訳に必要なすべての用語をカバーしているとは限りませんし、ときには不適切な訳語が指定されていて、それを翻訳者が指摘することも必要です。 非常に初歩的な例を挙げると、コンピューター分野では、変数の type は「型」と訳し、プログラムの function は「関数」と訳す必要があります。ところが、この 2つの単語は、一般的な意味で「タイプ」や「種類」、また「機能」と訳されます。table などの誰でも知っている単語は、つい用語集を見ずに「表」と訳してしまう人もありますが、データベース関連であれば、「テーブル」という訳語が指定されているかもしれません。したがって、このような単語が出てきた場合には、専門用語なのか一般用語なのかを意識して訳し分ける必要があり、このような単語の訳でミスがあれば、その翻訳を受け取ったチェッカーは、その翻訳者にコンピューター関連の翻訳に従事するための十分な知識がないと判断するでしょう。通常、この分野の翻訳に携わっている方は、この話を聞いて笑うでしょうが、決して珍しい例ではないのです。 コンピュータ分野は技術の進歩が速く、それにともない訳語も変化します。私は、1年に数回はコンピュータ関連の展示会やセミナーに出席して、コンピュータ分野の新規技術に関する知識を集めるとともに、業界で「現在」使われている専門用語になじむようにしています。この数年の例をとっても、availability は「可用性」が「アベイラビリティ」に変化し、scalability は「拡張性」から「スケーラビリティ」に変化しました。始めからカタカナが使われる場合もあれば、このように一度日本語化されて、その概念が浸透してからカタカナに変わる例もあります。サン・フレアが行っているレベル判定試験やトライアルへの応募を見ると、ときには数年前の辞書を引いたのではないかと吹き出してしまうことがあります。 したがって、専門用語辞典は新しい版を使用することが必要なのですが、コンピュータ分野では紙の辞典では間に合わないほど、新しい概念とそれにともなう新しい用語が次から次へと登場します。それに追いつくためには、紙(あるいは CD-ROM)の辞書を引く以上に Web 検索が強力な武器となります。以下に、私が通常「お気に入り」に登録して参照している Web 上の用語集をご紹介します。 以上が「専門知識」に関するチェックポイントのうちの「専門用語」の説明です。 |
[専門知識] の (2) 専門知識 次は、「背景知識」、つまり専門知識そのものです。 せっかくジョブのための用語集を提供されても、よい専門用語辞典を持っていても、よい辞書サイトを知っていても、書かれている内容を理解するための十分な背景知識がなければ専門用語を適切に使用できません。たとえ正しい専門用語を使っていても、個々のパラグラフの内容を正確に読み取れていない場合は少なくありません。原文の説明の流れを正しく伝える訳文を作るためには、当然のことながら、原文の意味を正しく把握するための背景知識が必要なのです。 私がトライアルの採点を行うときでも、教室で指導するときでも、実はもっとも問題となるのがこの専門知識なのです。高い英文解釈力と日本語を書く力がありながら、専門知識が不足しているために正しく訳せないケースが非常に多いのです。ひとくちにコンピュータ分野といっても、プログラミング言語、OS、実に多くのソフトウェア(企業内で特定の機能を果たすものから、テスト、保守用のものまで)、データベース、データベース言語、ネットワーク(LAN、WAN、インターネット、イントラネット)、通信(テレフォニー)など実に多様で、しかもどの分野も急速に進歩しています。ためしに本屋へ行ってコンピュータ分野の専門誌をチェックするだけでも、その多様性が理解できます。 ローカライズの分野では、企業がネットワーク上でデータベースに接続して使用する非常に専門的なアプリケーションに関するジョブが多く、どのように自学自習に熱心な翻訳者であっても、受け取ったジョブの翻訳に必要なすべての知識を身に付けているということはありえません。では、ずばりプロの翻訳者にどの程度の知識が求められているかというと、第 1 に与えられたジョブがコンピュータ分野の中のどの部分に属するもので、どのような読者を対象に書かれたもので、それがアプリケーションであれば何を目的とするものであるかを判断できるくらいの知識です(翻訳を行う前には、必ずこのような判断を行うべきです)。このレベルの知識があれば、翻訳作業を開始する前に、どのような解説書を読めばよいかわかり、またWeb上でジョブを理解するために必要な情報を検索できます。 このレベルを具体的に言うと、日経 BP 社「最新パソコン技術大系」を読んで理解できる程度の知識レベルが求められています。ローカライズ翻訳者は、このような知識を基礎知識としてもっていて、やっと理解できるレベルの内容を翻訳することを求められるのです。 |
[専門知識] の (3) 調査力 そして、このような必要なレベルの知識を身に付けていても、秒進分歩のコンピュータ分野において、最先端の内容の翻訳を行おうとすれば、当然理解できない部分が出てきます。そこで、専門知識の第 3 のチェックポイント「調査力」が必要となります。要するに、理解できない部分を理解するために、専門書を読んだり、専門用語辞典を引いたり、Web 上で検索したりする努力をしているかということです。 ただし、このような努力をしても、なおかつすべてを理解できるとは限りません。その場合には、そのジョブを提供したクライアントに質問すべきです(通常は、そのジョブを依頼してきた翻訳会社の担当者を通じて)。納期が比較的短く、質問に対する回答をもらえない場合には、自分が自信を持って訳せなかった部分について、その旨の注意書き、あるいは質問をリストにして提出すべきです。クライアントの方でも、翻訳者がすべてを理解できるはずはないと考えていますから、質問を受けるとかえって安心し、喜んで回答してくれるはずです。 ここで、多くの翻訳者が悩むのが、このような質問をしたら知識不足と見なされるのではないかという点です。確かに十分に理解するために質問することは重要ですが、知識不足をさらけ出すような質問は慎むべきでしょう。そのために、上で述べたレベルの基礎知識をもっている必要があるのです。一番よいのは、SEまたはSEレベルの力のある友人にたずねてみることです。その人が簡単に答えられるのであれば、それは業界では常識であって、ローカライズ分野の翻訳者は当然そのレベルの知識をもっていることを要求されます。しかし、そのような人がすぐに答えられないような内容であれば、それは質問しても馬鹿にされないということになります。 以上が、「英文解釈力」と「専門知識」に関する6つのチェックポイントで、原文を理解するために必要なことです。いかがですか。皆さんは、このように原文をしっかりと把握してから翻訳する習慣を身につけていますか。内容を十分に理解したら、いよいよ理解した内容を日本語に移す作業に入ります。次回は、「日本語力」について説明します。 |
[日本語力] 翻訳を行うためには、原文をよく理解し、理解した内容を適切な日本語で表現する必要があります。したがって、翻訳をチェックするためのポイントを、「英文解釈力」、「専門知識」、「日本語力」の 3 つの分野に分け、最初の 2 つの分野についての説明を終えました。この 3 つ目の要素は、前の 2 つとは異なります。「英文解釈力」と「専門知識」は、原文の内容を理解するための技術であり、「日本語力」は理解した内容を提供するための技術だからです。 十分な英語力と豊富な専門知識をもって正確に原文を把握しても、それを自然な日本語で記述する力がなければ、その翻訳はクライアントに受け入れてもらえる製品となりません。この記事の読者は日本人で、日本語ネイティブだと思いますが、それならどなたでも自然な日本語を書くのが得意でしょうか。決してそうとは言えません。むしろ、私が採点、評価を行うときには、自然な日本語で書かれた答案に出会うことはめったにありません。 では、翻訳者を目指す方々が、一般の人よりは日本語に関心を持った日本人でありながら、なぜよい日本語を書けないのでしょうか。その第 1 の理由は、よい日本語を書く練習をしていないためです。文章は、誰かの考え方を読者に伝えるためのものです。したがって、日本人の読者に読んでもらうためには、翻訳文が自然な、わかりやすい日本語でかかれていなければならないことは当然です。 しかし、不思議なことに日本の翻訳者で、この常識を持った方は少数派なのです。多くの翻訳者は、これまでに述べたように、まず自分が原文を理解しなくても、英単語を日本語に置き換えておけば、専門家は理解できるだろうと考えています。しかし、内容を理解しない翻訳者が翻訳した内容を、だれが理解できるでしょうか。次に、日本には昔から翻訳文化があって、翻訳調と呼ばれる翻訳独特の言い回しが許され、これは仕方がないものだと考えられてきました。最後に、日本の学校では、英単語が辞書に載っている訳語に置き換えられていれば、その段落の文章が説明文として意味をなさなくても ○ をくれるという不思議な教育がなされてきて、多くの方がその呪縛から抜け出せないでいます。 しかし、皆さんが書く翻訳文は、まず日本人が読んで、自然な日本語でなければならず、さらに、その分野の専門家が読んで、自然な文章でなければ製品とは言えないのです。技術翻訳の場合、翻訳文の読者として想定されているのは、ほとんどの場合、企業に勤務している会社員で、その多くが日経新聞を読んでいます。したがって、翻訳者は、日経の記事くらいの日本語を書ける必要があります。特にローカライズ分野の翻訳者の場合には、さらにコンピュータの専門雑誌や Web 上の専門記事をできるだけ多く読む努力をし、専門家にわかりやすい文章を、適切な専門用語を使用して書く必要があります。 私が指導しているサン・フレアの Pre-OJT および OJT のコースにおいて、毎回自然な日本語を書くように指示しても、なかなか感心するような答案が上がってきません。しかし、皆さんは日本人ですから、上記のような専門文書に親しむ努力をしていれば、これは決して難しいことではありません。翻訳文を書いたら、必ず声に出して読むと、不自然な部分が見つかります。ご両親でも、兄弟でも、配偶者でも、身近な方に最初の部分を読んで、その感想を求めるのもよい方法でしょう。内容は理解できなくても、自然な日本語かどうかは判断してもらえるはずです。 以上で、私のチェックポイントすべてについて説明しました。このような観点から評価されていると考え、以上の 3 分野、9 つの観点をご自分の進歩のためのチェックポイントとして利用していただけると幸いです。 |
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