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初心者のための辞書活用法

(「通訳・翻訳ジャーナル」 2003年 4 月『辞書特集号』記事)


以下は、2003 年 「通訳・翻訳ジャーナル」 4 月号の特集 「通訳者・翻訳者のための辞書引き術」 に寄稿したもので、イカロス出版社のご好意により、ここに再録いたしました。


宮代 紘一: 1943 年生まれ。1966年東京外国語大学インドネシア学科卒業、外務省に入省、8年間勤務。その後鋼材専門商社、機械専門商社などに勤務し、ジャカルタ、ロサンゼルスなどに支店を作り、支店長を歴任、また日本の製薬会社のロサンゼルス現地法人の総支配人を経験。合計、インドネシアに15年、ロサンゼルスに5年駐在。1992年に帰国し、フリーランスとして独立。海外での実務経験を生かして、翻訳、通訳、講師、コンサルタント・サービスを提供。最近は、主としてローカライズ分野の翻訳および翻訳者教育に注力。


初心者のための辞書活用法と専門知識の身につけ方


よりよい翻訳をするための理論と実践


  理論

何のために辞書をひくのか?

  辞書のひき方について説明する前に、まず何のために辞書を引くかについてお話します。皆さんは、当然「翻訳対象の原文にわからない語句があるから辞書を引くんじゃないですか」とおっしゃるでしょう。そのとおりです。しかし、これは職業翻訳者の基本的な翻訳態度にかかわる重要な作業なので、辞書を引く理由をしっかりと理解する必要があります。

  翻訳とは、原文を読み、原文に書かれている内容を理解し、理解した内容を日本語で記述する作業です。原文を読み、そこに書かれている意味を理解することなしには正確な翻訳を行えず、その文書が対象としている読者が読んで理解できる翻訳文を作成できません。外国語(ここでは英語としましょう)で書かれた原文を理解するためには、英語を理解する力と専門知識が必要となります。したがって、翻訳者は、原文を理解するための道具として語学辞書(英和、和英、英英辞典)と専門用語辞典を使用します。これは車の両輪で、英文解釈力と専門知識のどちらが欠けていても原文を理解できないわけですから、この2つの面での実力を補うために2種類の辞典が必要となるわけです。


英語の素養と同時に身につけたい専門知識

  ここで大事なことは、英語の素養のない方がいくら英和、和英、英英辞典を参照しても英文を解釈できず、また、専門知識のない方がいくら専門用語辞典をひいても原文の内容は理解できないということです。では、どのくらいの知識があったら、プロ翻訳者として、原文に書かれている内容を日本人の読者にわかりやすく翻訳できるのでしょうか。

  本当は、翻訳技術を身につける前に、英検準1級、できれば1級以上の英語力と、情報処理技術者の試験に受かっているくらいの専門知識がほしいものです。それは目標ではなく、土台なのです。しかし現実を眺めると、まだそこまでの実力を持っていなくても、翻訳者を目指して勉強している方、あるいはすでに翻訳者として活動している方がいます。原文の内容を理解できなければ、翻訳は行えないわけですが、翻訳を始めたばかりの方々は、もともと技術を身に付けていた方を除けば、十分な専門知識をもってはいないでしょう。ではどのくらいの専門知識を身に付けたら、その分野の翻訳を開始してもよいかという疑問が生じます。その答えは、一言では困難ですが、無理を承知でわかりやすい基準を設定すれば、つぎのように言えるでしょう。

  『原文に書かれている内容を理解するために、Web検索を行い、Web上で収集したほとんどの記事類を専門分野の解説書を読まずに理解できるようになれば、翻訳できる程度の専門知識をもったと考えてよい。』

翻訳を始める前に、資料収集をきちんとしよう

  では、この観点から具体的に原文を訳す作業についてご説明しましょう。ここではIT分野の原文の例を引用していますが、ここまでに述べたことも、以下に述べることも、すべての分野の翻訳に共通です。

  翻訳を始めるときに、いきなり原文を頭から読んで、第1パラグラフに知らない単語がなければすぐに訳し始めるというのは、正しい態度ではありません。原文の内容を本当に理解しようとすれば、そのための準備が必要です。まず目次や第1章、そして全体をざっと読んで、その文書がどのようなトピックについて、何を目的として、誰を対象に書かれたものかを理解します。このように文書の概要を理解したら、理解を深めるために役に立ちそうな資料を集めます。市販の書籍でも、Web上のファイルでもかまいませんし、必要に応じて翻訳会社やクライアントに参考資料を要求することも必要です。

  以上の手順で文書の内容、目的、読者を理解した上で翻訳を開始するかどうかで、作品としての翻訳の品質が大きく変わってきます。単に品質が向上するだけではなく、内容を理解して翻訳を行えば、翻訳のスピードもアップしますから、少し大きな仕事であれば、最初の半日か1日をこのような調査に使っても、結果的には収入増に結びつきます。

  実践

辞書、WEBをどう活用して訳すか

  そこまでの準備作業を終えたら、いよいよ実際の翻訳作業にかかります。英和辞書には CD-ROM 版小学館のランダムハウス英語辞 典Random House(RH)と研究社のリーダーズプラスV2(RP)(どちらも CD-ROM 版)を使い、専門用語辞典としては CD-ROM の日外コンピュータ用語辞典(日外)と Web 上のアスキーデジタル用語辞典(AS)を使うことにしましょう。いずれも、IT 分野の翻訳者が使う代表的な辞典です。


  例文

Introduction

  There are three active parts in using ABC Business Manager: the application computer (Client), the server containing the SQL database information, and a relational database management system to communicate with databases outside this specific system. This chapter provides an explanation of each of the parts as well as a description of how they link and interact together.

Client/Server Architecture

  The ABC Business Manager application uses client/server architecture to separate the workload into tasks that run on server computers and those that run on client computers.

  • The client is responsible for business logic and presenting data to the user.
  • The server manages databases and allocates the available server resources, such as memory, network bandwidth and disk operations among multiple requests.

  Client/Server architecture allows you to design and deploy applications to enhance a variety of environments. Client programming interfaces provide the means for applications to run on separate client computers and communicate to the server over a network.

  この原文は、ABC Business Managerというビジネス プロセスの統合管理のためのソフトのユーザー マニュアルの冒頭部分で、このソフトの主要コンポーネントであるDeskspaceとWorkspaceをどのようなハードウェア構成で使用するかを説明しています。対象読者は、このソフトを導入する企業でシステムのメンテナンスを行う技術者(SE)です。

見出しで全体像を把握し、それから全体を読む

  まず、見出しを読んで、これから訳す章や節に何が説明されているかを把握します。見出しは、その章なり節で説明されている内容を簡潔に表した句なのです。Introductionですから、この章では、この製品の概要を説明するのだなとわかります。これは、辞書をひくまでもなく、「はじめに」とか「製品の紹介」などの訳がすぐに出てきますね。

  次に、第1パラグラフを読んで、そのパラグラフが何を説明しているかを理解します。皆さんが知らない英単語はありませんね。したがって、このパラグラフについては英語辞典は使用せずに専門用語辞典のみを使うことにしましょう。

  ABC Business Managerは製品名ですから、クライアントの指定に従います。指定がなければ、そのクライアントまたは製品のWebサイトで日本版にどのような名前が付けられているかを調べます。通常は、原文のままです。

  the application computer (Client)は、このまま「アプリケーション・コンピュータ(クライアント)」と訳してよいのでしょうか。日外にもASにもapplicationはあってもapplication computerは出ていません。次のserverは日外にもASにも説明があり、「サーバー」あるいは「サーバ」と訳せること、その意味は「コンピュータ分野では、ある特定のサービスを提供するシステムやコンピュータを指す」であること、そしてASには関連用語に「クライアントサーバ」があり、それを見ると「ネットワークにおいて、クライアントと呼ばれるコンピュータがサーバーと呼ばれるコンピュータに対してサービスを依頼するようなシステム。アプリケーションをホストコンピュータで動かすホスト―端末システムと違い、処理の一部をクライアントで行なうので入力に対する応答が速い。サーバーの処理中はほとんど通信は行なわれず、結果のみがクライアントに送られるので効率がよい」と説明があります。これで、どうやらクライアントとサーバーは特別な関係にあることがわかってきましたが、サーバーがSQL database informationをcontainしているとはどのような意味なのでしょうか。ASでSQLをひくと「Structured Query Languageの略。リレーショナルデータベース操作言語のひとつ」だとわかります。しかし、SQL database informationをcontainしているという意味がわかりません。

  最後の専門用語relational database management systemは、ASによると「通常RDBMSと呼ばれ、IBMのE.F.Coddによって考案された『リレーショナルデータモデル』によってデータを管理するデータベース管理システム」であることがわかります。

辞書で訳語を見つけるという意識を捨てよう

  とにかく不明な英単語も訳語がわからない専門用語もなくなったので、このパラグラフを訳したいのですが、訳しにくい単語が残っています。まず、出だしのactive partsをなんと訳してよいのかわかりません。改めてRHとRPをひくと、自分の知っている「部分」、「部品」、「パーツ」などのほかに「構成要素」、「重要部分」などの訳語があることもわかります。またactiveには「活動的な」、「活発な」、「能動的な」などの訳語とともに、コンピュータ分野では「アクティブな」とも訳されることがわかります(ただし、ここではあてはまりません)。そのほか、containing the SQL database information、communicate with database、outside this specific system、interact togetherなども、知っていないと訳し方がわかりませんね。

  重要なことは、一般用語と専門用語とで基本的な取り扱い方が違うということです。専門用語は、統一性を持って常に同じ訳語をあてる必要があります。1つの英語の専門用語に複数の訳語をあてては、読者が混乱します。これに対し、一般用語は、原則として定訳がありません。1つの単語でも、それが置かれたコンテキストによって対応する訳語が違ってきます。

  ここで、英語辞書の使い方ですが、多くの翻訳者が英和辞書しか使用しておらず、しかも「適切な訳語は必ず辞書に出ている」という信念をもっていて、何冊もの辞書をひく方がいます。辞書をひかないよりはひいた方がよいのですが、「訳語を辞書から拾い出す」ことはやめていただきたいと思います。実は、英和辞典には「訳語のサンプル」が載っているだけで「意味」は定義してないのです。英和辞典に載っている訳語は、その単語が一番多く使われるコンテキストで対応する日本語が一番先に書いてあり、以下、次に多く使われるコンテキストに対応する日本語、その次に … というようにあくまでも「いろいろなコンテキストで使われる場合の対応する日本語の例」が書いてあるだけなのです。したがって、辞書を見れば必ず適切な訳語が見つかるという信念は捨てていただきたいのです。翻訳者は、その単語に対応するいろいろな日本語を見て、そこから「適切な訳語を自分で推察」してほしいのです。それが翻訳者の一番重要な仕事です。そして、適訳を考え出すためには、コンテキストをしっかりと理解する必要があるのです。このような取り扱い方の違いから、専門用語は原則として専門用語辞典に載っている訳語をあてればよいのですが、一般的な単語こそ、コンテキストをしっかりと理解して初めて訳語を特定することができ、コンテキスト、つまり説明の流れを理解するためには専門知識が必要なのです。

訳例その1

第 1 パラグラフの訳は次のようになります。


はじめに

ABC Business Managerを使用するときには、ABC Business Managerのクライアント側コンピュータ、SQL Serverを搭載したサーバー側、およびシステムの外部のデータベースを利用するためのRDBMSの3つの要素が重要な役割を果たします。この章では、これらの構成要素のそれぞれについて説明するとともに、それらの要素がどのように接続され、どのように相互に連携して動作するのかについて説明します。

  上の解説からこの訳までは距離があると感じられますか。しかし、翻訳とは原文を読んで、書かれている概念を理解し、それを日本語で記述する作業なのです。原文を理解するための専門知識があれば、この訳文を一気に書けるし、そうでなければ理解できない部分を不明な日本語のまま放置し、それをチェッカーがこのような訳文に修正するのです。

適切な訳を見つけ出すために必要なのは、やはり専門知識

  では、第 2 パラグラフ (2) に進みましょう。このパラグラフにも、難しい英単語はありませんね。すべて、皆さんが知っている単語です。

  見出しの client/server は、すでに第1パラグラフで「クライアント/サーバ」を調べたので問題ありませんね。このシステムについても、本当に理解するとなると、参考書を1冊読む必要があるでしょう。

  architecture は、AS に「ハードウェアや OS などの基本思想や実際の仕様のこと」という説明があり、訳語は「アーキテクチャ」でよいことがわかります。

  workload は、専門用語か一般用語かわからないので AS と日外をひくと、意外にも載っていません。それでRPとRHをひくと、RP の「仕事量」、「作業量」のほかにRHに「作業負荷」という訳語が見つかります(一般的には、RH の方がテクニカルな用語に強いようです)。しかし、これではコンピュータに関して何を意味するのかわかりませんね。「コンピュータの作業量」と考えたら「ブー」です。訳語は「作業負荷」で結構ですが、コンピュータの CPU の処理の負担の度合いを意味するのです。

  business logic は、AS にも日外にも出てきませんが、そのようなときには Google で Web 検索します。Google では、必ず検索窓の右横の「・検索オプション」をクリックしてある程度の指定をすると効率的に検索できます。ここで zdnet.co.jp の「Windows 2000 - Development Guide for Business Applications」が見つかればしめたものです。クライアント/サーバについても、ビジネスロジックについても丁寧な説明がありますね。今や、Webは情報の宝庫で、翻訳者の強い見方であることをひしひしと感じます。そこで、「ビジネスロジックとは,プレゼンテーション層に配置されたプログラムからの要求を受け,データベース層に置かれたデータベースに対して各種の操作を実行するプログラムである」ことがわかります。

  resource は、日外で、「資源」や「リソース」と訳され、コンピュータ処理に使われるさまざまな要素であること、したがって、ここではサーバー上の要素のことを言っているとわかります。リソースの例としてあげてある bandwidth は、「バンド幅」または「帯域幅」で、日外によれば「データ通信においてある帯域の大きさ、すなわち最高周波数と最低周波数の差」、AS で「チャネルが持つデータ転送の容量。バンド幅の高いチャネルほど、単位時間に大量の情報を転送することができる」とわかります。

  interfaceは、日外の「2つのシステムまたは装置が結合している境界」など、日外にも AS にもたくさん説明がありますが、ここでは AS の「ソフトウェアやハードウェアの機能のうち、ユーザーの操作を受け付けたり、そのフィードバックを返したりする部分」が適切ですね。

  これで専門用語の訳語と大まかな意味はわかったのですが、第1パラグラフと同様に、やはりごく普通の単語が訳せませんね。The client is responsible for の responsible は、クライアントの分担作業として、ビジネスロジックや処理に必要なデータの入力を求めたり、処理結果を表示するなどのタスクを「受け持つ」ことを意味します。次の The server manages の manages も、上の responsible for と同様に意味が広すぎてなんと訳すかわかりませんが、実は、これは上の responsible for と同じ意味なのです。これも、辞書をひいても解決できません。

  次の文には、不定詞が2つありますが、不定詞は多くの場合「目的」と「結果」の 2 通りに訳すことができ、内容を理解していないとどちらに訳してよいかわかりません。ここでは、最初の不定詞は allows someone to do something で不定詞の訳し方には問題ありませんが、allows がどうにでも訳せる、つまり内容を理解していないと適訳を見つけられない厄介な動詞です。ここは、client/server architecture の特長を述べていることを理解できれば、allows は、「クライアント/サーバ アーキテクチャにおいては、〜できます」と訳したらよいことがわかります。そして、そこまで理解できていれば、〜 にあたる to 不定詞の部分は、「さまざまな環境において、その環境を十分に活用するようにアプリケーションを設計、展開することが」であることがわかります。いえ、これもしっかりした専門知識をもっていることが前提です。

  Client で始まる最後の文は、その上の文の補足説明で、このソフトのクライアント側のインタフェースは、プログラミング機能を持っており、それを使ってさまざまなアプリケーションを別のクライアントで実行したり、それらのアプリケーションにネットワークを介してサーバーとやり取りする機能を与えたりすることができます、という意味です。この文にも、特に辞書をひきたくなるような難しい単語はないのですが、説明の流れを理解していないと、つまり専門知識がないと適切な訳文が思い浮かびませんね。

訳例その 2

第 2 パラグラフの訳は次のようになります。


クライアント/サーバ アーキテクチャ

  ABC Business Managerは、クライアント/サーバ アーキテクチャ上で実行することにより、タスク実行の作業負荷をサーバーとクライアントに分散できます。

  • クライアントでは、ビジネス ロジックを実行し、ユーザーに対するデータ表示を行います。
  • サーバーでは、データベースを管理し、メモリ、ネットワーク帯域幅、ディスク操作などのリソースを複数の要求に割り当てます。

クライアント/サーバ アーキテクチャでは、さまざまな環境において、その環境を十分に活用するようなアプリケーションの設計と展開が可能です。クライアント側のインタフェースはプログラミング可能で、さまざまなアプリケーションを別々のクライアント上で実行したり、アプリケーションにネットワークを介してサーバーと通信する機能を含めることが可能です。

  まとめ

辞書を引く以上に大きな意味を持つ WEB 検索

  以上でおわかりのように、IT 分野の翻訳では、構文的に難しい文章に出会うことは少ないのですが、とにかく原文の内容と説明の流れを理解できないと翻訳は不可能です。したがって、相当に実力がある翻訳者でも、はじめから自分がもっている知識では勝負できないことが多く、そのために専門用語を調べるというよりも、専門知識の確認を頻繁に行います。

  そのために役に立つのが、Web上の辞書類です。IT分野の多くの翻訳者は、多分、英語の辞書をひいたり、CD-ROM辞書をひくよりも、はるかに頻繁にWeb検索をするのではないでしょうか。そうなると、インターネットへのブロードバンド接続が絶対に必要です。逆に、最近のように安価で容易なADSL接続が可能となると、実力のある翻訳者はますます有利になったともいえます。

  筆者の場合、翻訳開始前にクライアントのWebページを含めた関連サイトの検索を十分に行って、対象製品(ソフトウェアまたはハードウェア)についての必要な専門知識を集めた上で、さらに翻訳を行いながら下記のようなサイトを頻繁に利用します。紙面の関係で、各サイトの特徴は割愛します。皆さんが、ご自分でサイトに入り、自分に役に立つかどうかを確かめてください。

  Web 上の IT 分野の辞書類

☆ 近日中に追加いたします。





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